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2012-03-29

インドネシア便り38回 介護福祉士・看護師国家試験発表を前に

 今月末、インドネシア人も受験した介護福祉士や看護師の国家試験の合否結果が発表される。しかしその前にインドネシアに戻って来た者もいる。奈良、岡山、香川で働いていた3人に話を聞いた。

ディディ君
 奈良県の老人ホームで働いていたディディ君(27)は、3月16日夜ジャカルタに戻ってきた。空港には奥さんのニタさん(25)と2人の子ども、お父さんや弟さんが西ジャワ州のクンガンから迎えに来ていた。みんなと熱い抱擁を交わした後、昨年12月に生まれた次女のアディラシファちゃんを抱き上げた。ニタさんはほっとした表情でディディ君を見上げた。
 ほんとうは日本で介護士の仕事を続け、家族を呼び寄せ一緒に暮らすのが夢だった。ディディ君は、「失敗しました」と私に言った。1月29日の国家試験の後、自分で採点してみると合格点に足りなかった。2月中旬、厚生労働省からディディ君に1枚のハガキが届いた。3年以上日本の老人ホームで働いたインドネシア人の介護士研修生は2次試験が免除される。しかしハガキには、「2次試験は受けられない」と書かれていて、それは国家試験不合格を意味する通知だった。とはいえ救済措置で来年1月の国家試験まで、日本で研修生を続けられる可能性も残っていた。 しかしディディ君は家族や友人と相談し、それから3日後、職場の責任者に帰国しますと伝えた。

1. ディディ君とジャカルタの空港に迎えに来た家族

家族の一員のように世話したい
 その後も帰国前日まで通常通り勤務した。ディディ君は日本に行く前、自宅で暮らしていたお年寄りをお父さんに代わり亡くなるまで世話をしていた。その経験を活かし日本でもお年寄りを他人でなく家族の一員のように世話をしたいと抱負を語っていた。帰国前、ディディ君の勤務していた老人ホームのお年寄りの多くが、淋しいから帰らないでと泣いたという。
 ディディ君のお父さんはジャカルタのメンテンでビジネスマンやOL相手にバソ(肉団子)屋を営み、20年以上土日も休まず働いている。そのお金でディディ君はクニガンの看護学校を卒業し、日本に行くことができた。ディディ君もお父さんのように故郷を離れ、日本での仕事に励み、昨年末貯めたお金で実家の隣に新居を建てた。

外国人が暮らすにはハードルの高い国
 日本人はとても親切で、日本はきれいですばらしい国なので、家族を呼び寄せ日本で一緒に暮らしたかった。家族で日本に住む条件を入国管理局などに聞きに行きいろいろ調べたが、外国人が暮らすにはハードルが高い国だとわかった。そして今のような研修生という身分で家族と暮らし、子どもを育てていくのは難しいと思った。
 帰国を決めてからは日本を去る淋しさでなく、これまでずっと我慢してできなかったニタさんや2人の子どもと暮らせる喜びが沸いてきた。日本を出発する朝、空港に見送りに来てくれた職場の主任はまた奈良に戻ってきてほしいと泣いていたという。日本の良さを理解し性格もやさしいディディ君のような人材が日本から離れていくのは残念だ。同じ職場で同僚だったプリ君は、試験に落ちても滞在を延長し日本で働きたいと言っている。
 ディディ君のクニガンでの職は決まっていない。実家から通える病院で看護の仕事をしたいが、「何でもええわ」と言っている。

ワント君
 岡山県の老人ホームで働いていたワント君(27)と同僚のワワン君は、昨年末職場のマネージャーに「もうすぐ契約が終わるので、あなたたちの仕事はありません。帰国の準備をして下さい」と言われた。突然のことで2人は驚いた。介護福祉士の国家試験前なのにおかしいとも思った。他の施設で働いている友人に聞いても、契約が突然打ち切られるのはおかしいと言われ、外国人介護福祉士の受け入れ支援をしている国際厚生事業団(JICWELS)に相談した方がいいとアドバイスされたので連絡した。
 年が明けて国際厚生事業団から3人の職員が老人ホームを訪れたが話の内容はわからず、しばらくして2月6日に帰国することが決まった。友人からは、国際厚生事業団は何もできない弱い組織だから仕方がないと言われた。

妻より先に帰国させられた
 ワント君は日本に出発する1週間前の2008年7月、同じ介護士候補として大阪で勤務することになっていたアニさん(24)と結婚した。2人はメールや電話でよく連絡を取っていたが、岡山と大阪は離れていたしお金がかかるから、月に1度くらいしか会えなかった。だからいつか同じ職場で働きたいと思っていた。それがワント君だけ先に帰国させられることになった。
 アニさんが勤務する施設は、アニさんが今年の国家試験に不合格でも来年1月の国家試験まで残って仕事を続けてほしいと言っている。アニさんは職場の責任者に夫のワントさんを同じ施設で働かせてもらえないか頼んでみた。しかしアニさんが国家試験に合格すれば何とかするが、不合格だと研修生扱いのままなので、夫といえども国から労働許可が下りないから難しいと言われた。
 ワント君は職場で3年近く日本語や介護の勉強を続けていた。仕事が終わってからの勉強時間だけでは足りなかったが頑張った。しかし帰国が決まってからはそれも打ち切られた。でもワント君は国家試験の受験申請はしていたので、これまで勉強したことを試してみたかった。気持ちはダウンしているが、アニさんと2人で試験に向けて頑張ろうと誓い合った。
 だが試験は難しかった。長い問題なので時間が足りなかった。ワント君の自己採点では正解は半分以下だった。アニさんも同じく合格は難しいと感じた。

2. 2月初めに岡山から帰国したワント君

妻のアニさんも帰国する
 施設のお年寄りからワント君は、「外国人が働いてくれるのはありがたい」、「国に帰ってほしくない」と引き留められたが、2月6日ワワン君と一緒に帰国した。ワント君の故郷は西ジャワ州のチレボンからオートバイで1時間ほどの農村だ。若者の多くはジャカルタなどの都市や海外での出稼ぎが一般的でお姉さんも中東で家政婦をしている。ワント君も岡山から月に2万~3万円母親に仕送りをしていた。
 帰国してひと月あまり経ったワント君だが、チレボンでは介護や看護の仕事は見つからない。日本はいい国ですねとワント君は言うが、失望も大きいと漏らしている。そしてアニさんもワント君と一緒に暮らすことを優先して、4月末に帰国することを決めたという。
 2人は日本での3年間の経験を活かせば韓国や台湾など他の国で、介護の職に就けるかも知れないと考えている。彼らは日本の税金と施設のお金や時間を費やし育てた人材だ。将来日本とインドネシアの懸け橋になれる貴重な人材を日本に残せず、他国に行かせてしまうとしたら、こんなもったいない話はない。

ヌリアさん
 ディディ君やワント君と違い、高松市の老人ホームで働くヌリアさん(29)はインドネシアへの帰国を思い留まった。
 3月8日、ヌリアさんは故郷の西ジャワ州クンガンで結婚式を挙げた。相手は福井県の溶接工場で3年間研修を続け、現在はバンドンで溶接の仕事をしているゲラル君(27)。朝から夜まで多くの村人が集まった盛大な式だった。
 新婚の2人は高松で一緒に暮らしたいと思っている。ゲラル君のお父さんはバンドンの日系繊維工場で30年勤務し、日本人の勤勉さをよく理解しているので、息子のゲラル君も日本企業で働かせたかった。それが実現し福井で3年間、日本人の仕事に対する厳しさを学び、職場の内外で日本人から優しくされたゲラル君は日本が大好きになり、いつかまた日本で働きたいと思っていた。
 ヌリアさんもクニガンの看護専門学校を卒業後、高松市の老人ホームで3年働くことで日本の良さを学んだ。施設の職員やお年寄りから親切にされ、みんなにずっといてほしいと言われているので高松で介護の仕事を続けたいと思っている。

3. 3月8日に結婚したヌリアさん(右)とゲラク君

数ヵ月先の生活設計が描けない
 しかし現実は難しい。1月29日に受けた介護福祉士の国家試験は難しく、自己採点をしてみると合格点に足りなかった。施設はヌリアさんが合格すればゲラル君の仕事を探してあげると言っていたが、それも難しくなってきた。施設の責任者は、もし不合格でもヌリアさんには来年1月の試験まで働いてほしいと言っている。しかしその場合ヌリアさんは正職員ではないので、夫のゲラル君が日本で就労することは難しい。日本での生活経験があり日本語もうまくまじめなゲラル君を採用したい企業は高松にもあるが、国から労働が認められ、収入が得られるかは不透明だ。
 数年先ではなく数ヵ月先の生活設計が描けないヌリアさんは、結婚を機に帰国しインドネシアで新婚生活を送ることを真剣に考えた。ゲラル君や職場の同僚らとも意見を交わし、結婚式の後も1人で高松に戻ることに決めたが、仕事中も不安で落ち着かない日々は続いている。

日本に大きなつけが回って来る
 彼らのように結婚を考え、日本で共稼ぎをしながら子どもを産み育てることで悩んでいるインドネシア人の介護士候補者は多い。適齢期なら誰でも考える問題に、これまで日本政府は答えを出そうとしていない。政治家やお役人は、日本での仕事や暮らしに慣れたまじめな外国人がふつうの暮らしを続けたいという気持ちを理解し、制度を変えることができない。これが日本とインドネシアの政府間で4年近く前に始まった経済連携協定(EPA)の介護士や看護師の受け入れの内実だ。
 東日本大震災の後、人手が足りない被災地の老人ホームや病院で働いているインドネシア人の介護士や看護師も多い。1年余りたった今も余震が続き津波が襲って来る不安の中、帰国したい気持ちを抑えて青森県むつ市の病院で看護の仕事を続けている女性もいる。彼女は国家試験の結果が出た後、合否にかかわらず帰国する予定だ。日本での将来の生活設計が描けないからだと彼女は言う。
 暖かい人間の血が通っていない制度は崩壊し、将来大きなつけが日本に回って来るだろう。
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日本政府を告発する

小松さんの記事を読んでいなかった。
日本政府は、その後ろにいる勢力と結託して、このような真心を蹂躙するのは許せない。
そうさせないために、24時間365日、あるいは来日前でもサポートを心がけています。
あれこれいうより合格を請け負うと決めています。
きっと今年より多い候補者を合格させ、もし、チャンスを求めるなら、それを可能にするような策を考えたいと思います。
もちろん、既に帰国した人にもまだ未練が残っているなら、今の幸せを捨ててまで再来日とはいわないけれど、その気持ちのある人を実質的に支援することを考えなくてはなりません。
日本は予測を信じられないほどの速さで高齢者認知症患者が増加し、訪問看護ステーションが次々と開店し、地域密着型サービスを進化させた複合型介護が介護保険法の下に始まる現在の状況は看護師はもちろん、介護福祉士もそしてその他の介護職も日本人だけでは賄えないのは、どんな大きな病院でも看護師募集とある状況です。
その上、ことは日本側だけが変わっているのではなく、日本がだめならという動きが見えてきており、早く何とかしなくてはなりません。
しかし、何でも良いという前に、よい人材に日本を選んでもらえるように合格後のことも視野に入れたサポートを構築していきたいと考えています。
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