2017-03-09

インドネシア便り第43回 シティさんを追ってバタム島へ

シティ・アイシャさんを追ってバタム島へ

北朝鮮の金正男氏が殺害された事件の実行犯として起訴されたシティ・アイシャさんは、バタム島で働きながらジャカルタにいる一人息子に仕送りをしていた。バタム島はインドネシア各地から移民が集まってくるシンガポールの南にある島だ。
ジャワ島西部のセランで暮らす母親のべナさんによると、2008年にジャカルタで結婚し翌年男子を出産したシティさんは、息子を義父に預けより良い職を求め夫とマレーシアに渡った。しかし夫婦生活は長く続かず夫はジャカルタに戻った。シティさんは2012年頃からバタム島にある女性用下着店で働いていた。故郷のべナさんにときどき電話があり、ジャカルタの義父と暮らす息子には仕送りを続けていると言っていた。シティさんが働く店はバタム最大の繁華街ナゴヤにあると聞いていたが、どこに住んでいたのかは知らなかったという。
シティさんが最後にインドネシアを出国したのは2月2日朝、バタム島の港バタムセンターからマレーシアのジョホールバルに渡ったことが監視カメラに映っていた。渋いオレンジ色の長袖のセーターを着て小さなキャリーバッグを引きながら一人で出国審査に向かう姿からは、気負いも不安もなくこの港から何度も出国しているような慣れた感じが見受けられる。インドネシア人は観光目的でマレーシアに行くのにビザは必要ない。複数の船会社の高速船が30分おきに出航しジョホールバルまで2時間足らずで着く。
私は日本テレビの記者たちとシティさんがバタム島で親しかった友人を捜し、どんな暮らしをしていたのか知るためジャカルタから飛行機に乗った。1時間半後、高度が下がってくると海に浮かぶ大小の島が見える。人が住んでいない島や小さな水上集落が見える島もあるが、バタム島は住宅が建ち並び、多くの車やオートバイが走る広大な島だ。工場が建ち並び赤土がむき出しの工場地帯も見える。着陸前にはマラッカ海峡に停泊する無数のコンテナ船やタンカーも見えた。空港は地方にしては大きく、6機もの飛行機が駐機していた。

ハンナディム国際空港
バタム島ハンナディム国際空港


バタム島は1970年代からインドネシア政府がシンガポール政府と協力し、自由貿易地域に指定して工場を誘致するなど島の開発を進んだ。シンガポールに近いため賃金も高く設定され、インドネシア各地の港と航路で結ばれたため、地元で働き口がない若者たちが集まって来た。そしてインドネシアの辺境の島が「移民の島」と言われるようになった。
近年ではバタム生まれの世代も増え、日本や韓国などの工場を支える人材が育っている。一方でシンガポールやマレーシアから訪れる観光客も増えている。繁華街ナゴヤにはインドネシアの庶民向けではない、金払いのいい観光客向けの商店が並んでいる。酒類が飲める店やウエイトレスが付くカラオケ店も目立つ。
 そんなナゴヤの商店街で女性用の下着店を見つけるのは簡単ではなかった。婦人服店があったので聞いてみると、下着の店はショッピングモールにしかないと言われた。そして一番近い「ナゴヤヒル」というモールに行ってみたら、入口に近くで初めて女性下着の店を見つけた。
「シティ・アイシャさんを知っていますか」と店員に聞いたら、「ニュースで知っている。バタムに住んでいたんですね。」と、他の女性店員も集まってきた。「でも下着店で働いていたという話は初めて聞き、働いていたのもここではありません」と言われた。2階にも下着の店があると聞き行ってみた。
 2階の奥にあった「The Tlip」という店は1階の店と違い、赤や黄色など派手な原色やスケスケの下着がたくさん並んでいた。インドネシア人はこんな下着を付けるのだろうか? 3人の店員がいて、年長のヌルルさんという女性から話を聞いた。
「アイシャを知っています。親友です。ここではサンティというニックネームで、呼ばれていました。ここは本店で、別のモールにある支店で2年くらい一緒に働きました。私はこの店で5年目になりますが、サンティがここを辞めた後もときどき連絡を取り合っていました。シティ・アイシャという本名を知っていたのは私だけだと思います」

シティ・アイシャさんが働いていた下着店が入るBCSモール
シティ・アイシャさんが働いていた下着店が入るBCSモール


店内に並ぶ下着
The Tlip店内に並ぶ下着


 バタムについて2時間以上経っていたが、簡単に親友が見つかったことが不思議だった。
「私の方が少し前から働いていたので最初は仕事を教えてあげました。でも同い年だし、パダンやメダンなどスマトラ島出身の人が多い中で私たちだけがジャワ島出身だったのですぐ仲良しになりました。下宿に遊びに行ったり、泊めてもらったこともありました。食事は外食でしたから、モール内のフードコートなどで毎日一緒に食べていました。でも3年前に店を辞め、ジャカルタに帰ったと聞いていました」などとヌルルさんは話をしてくれた。
 店に客が入って来た。頭にジルバッブを付けたふつうのインドネシア女性だった。ヌルルさんは2人の店員にその客を任せ、話を続けてくれた。
「それが先週突然、サンティの顔がテレビのニュースに映って目を疑いました。逮捕されたことが信じられません。悪いことをするような子じゃありません。騙されたんでしょう。あの日から私も心配で気持ちが落ち着かない日々を過ごしています。助けてあげる方法はないでしょうか」
 さっきの客は何も買わずに店を出て行った。この店の下着はとても高い。3枚で10万ルピア(約850円)というような安い商品はないし、そんな売り方はしていない。最低でもパンティ1枚が6万ルピアもする。1枚が100万ルピア近くするブラジャーもある。
日本だとセクハラになる質問も、インドネシア人の店員は真面目に答えてくれる。
「あなたはここで下着を買うのですか」と聞いても、「高いので買ったことはありません」と答えてくれる。新人店員の基本給は200万ルピアと明かしてくれた。この店には100万ルピア以上する下着がたくさんあるし、一度にそんな基本給200万ルピアを超える買い物をして行くシンガポールやマレーシアからの観光客はたくさんいるという。
ヌルルさんによると、シティさんと働き始めた5年前の基本給は150万ルピアだったという。ときどきボーナスがあったらしいが、その中から一人息子に仕送りをしていたシティさんは、基本給を超える下着を買って行く客たちをどう思っていたのだろうか。
「The Tlip」のオーナーは30代の華人の女性だという。バタム島にシンガポールやマレーシアなどからの観光客が増えるに連れ下着が売れ、店舗が3店に増えた。しかしオーナーはバタム島にいないことが多く、店にはほとんど顔を見せないという。そのオーナーもシティさんが事件に巻き込まれたことを知って驚いていたらしい。
シングルマザーで出稼ぎに来て息子に仕送りをしなければならないシティさんに取って、事業を拡大していたオーナーも経済格差を実感する対象だっただろう。

元同僚ヌルルさん
シティ・アイシャさんの元同僚ヌルルさん


3年前にシティさんが「The Tlip」を辞めた理由はヌルルさんには分からない。ただジャカルタに帰ると言って辞めていったという。
ヌルルさんは故郷のスラバヤに両親を残して出稼ぎに来ていたが、バタム島では実の兄や姉と同居していた。独身なので子どもや親に仕送りはしていなかったという。基本給150万ルピアの中から息子に仕送りをしていたシティさんとは、経済状況がまったく違う。
私たちが故郷のセランで母親のべナさんに会ったとき、「最近までシティさんはバタム島の下着店で働いていた。1月末の中国正月(イムレック)にはセランやジャカルタに帰省していた」と話をしていた。
その後ジャカルタからマレーシアに飛ばず、バタム島に寄り2月2日にジョホールバルに渡ったことが分かっている。3年前に「The Tlip」を辞めたシティさんは、ヌルルさんには内緒でその後も最近までバタム島に住んでいたような気がする。一人息子に仕送りをするため、より高額な収入が得られる職に就いて。
バタム島では他の町より転職が簡単だ。それが何かは分からないが、母親には言えない仕事だったので、「下着店で働いている」と転職を隠していたのかも知れない。

 私たちはヌルルさんがよく訪れていたというシティさんの下宿の住所を聞き、捜しに出た。そこは3年前に2人が働いていた「The Tlip」の支店が入った「BCS」というショッピングモールから、徒歩で10分あまりかかる坂の上にあった。シティさんは歩いて店に来ていたとヌルルさんはいう。
下宿は当時からずっと女性専用で、下宿人の多くは「BCS」で働いていて、シティさん同様歩いて通っているという。外出中の大家さんが私たちのために急いで帰って来てくれた。
 下宿人からは「ママ・イチャ」と呼ばれているイチャさんはシティさんより5つ年上の30歳、8年前から16ある部屋の下宿の管理を家族から任されている。
テレビのニュースでシティさんを見たとき、イチャさんは気にならなかった。顔が違うし「シティ・アイシャ」という名前も知らなかった。ところが数日後、地元紙の記者が訪ねて来て「サンティ」という名前を聞いたとき、記憶が蘇った。
「もう少し太っていたけど、色白のスンダ(ジャワ島西部)美人で、肌がきれいだった。小柄でかわいかった」という。
「無口と報道されているが、恥ずかしがり屋だった。シングルマザーという話は聞いていなかった。BCAで働いていたが、どこの店かは知らなかった。当時の下宿代は30万ルピアだったが、期限前にちゃんと払ってくれる真面目な感じの子だった。人を殺すような子ではないと思う」と、話をしてくれた。
 そして1年半使っていたという3畳くらいの部屋を見せてくれた。窓はなく、カマル・マンディ(バスルーム)は共同だ。行商に来る朝食を買って部屋で食べていたが、昼や夜は外食だった。3年くらい前、BCSを辞め故郷に帰ると言って引っ越して行ったという。
それからイチャさんはシティさんと会っていないし、連絡も取っていない。

3年前まで住んでいた下宿
3年前まで住んでいた下宿


 私たちはもう一度ヌルルさんに会いに行った。毎日朝の10時から夜の10時までバタムヒルモールの「The Tlip」で働いているので、店の中でしか話が聞けない。
「サンティ(シティさん)とは3年会っていませんが、ときどきソーシャルメディアで連絡は取り合っていました」と、スマホに入っている最近の顔写真を見せてくれた。
「顔が変わってないですか」と聞いたら、「もともとかわいい子だし、若い女の子はどんどん変わるからこれがふつうですよ」という答えが返ってきた。
 最後に連絡があったのは2月初め、「2月末にバタムに来るので会いましょう」というメッセージだった。「うれしい」と返信したが、それからは連絡がなかった。
「久しぶりに会えることを楽しみにしていたのに、こんなことになってしまって残念です。何とか助けてあげたい。私にできることがあれば何でもしたい。もしまた会えたらたくさんお喋りをしたい」とヌルルさんはいう。

シティ・アイシャさんの顔写真
シティ・アイシャさんの顔写真


シティ アイシャさんは2月2日にバタム島の港バタムセンターから高速船に乗ってジョホールバルに渡った。マレーシアでテレビのドッキリ番組の撮影をしてお金をもらい、バタム島に戻り3年ぶりに親友に再会できるという希望を持って。だからインドネシアを出発する直前にヌルルさんにメッセージを送ったのだろう。
私たちもバタムセンターから高速船に乗った。ゆっくり港を出航し、インドネシアから離れて行く。ゆらゆら揺れる船の窓からシティさんは何を見ていたのだろうか。

バタムセンター
バタム島の港バタムセンター


しばらくすると船は日本などに向かう多くのタンカーや巨大コンテナ船とすれ違う。そしてシンガポールの高層ビル群が見えてくる。インドネシアとは違う景色だ。

シンガポールの高層ビル群
高速船から見えるシンガポールの高層ビル群


シティさんは何度もこの海を渡る度に「経済格差」を実感していたのだろう。しかし最後の航海は「経済格差」を超えたと感じたのかも知れない。


           2017年3月7日 小松邦康
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