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2014-06-17

インドネシア便り第41回 帰国を迷うインドネシア人介護士

 徳島県の老人ホームで介護士として5年間勤務しているフィトリさん(28)が、故郷の西ジャワ州クニンガンで結婚した。実家前の庭に椅子を並べ、招待客に食事をふるまい、歌手やバンドを呼び歌や踊りで盛り上げた。多くの人がお祝いに訪れ、村祭りのような盛大な結婚式だった。
 新郎は同じ施設で3年間働いているカマルディンさん(30)。5日後には彼の実家がある南スラウェシのマカッサルでも式を挙げるという。

結婚式の風景
フィトリさんは日本に出発前と別人のように変わっていた

 徳島市に本部がある社会福祉法人・健祥会グループは、2007年から始まったEPA(経済連携協定)に基づきインドネシア人とフィリピン人を介護士候補者として採用した。現在約百人に増えた外国人は施設での重要な働き手になり、8月からはベトナム人も加わる。
 フィトリさんはその第1期生で、2012年に難関の国家試験に合格した。3期生のカマルディンさんも今年国家試験に合格し、二人は泊まり勤務や責任ある仕事を任されている。
 「徳島の人は親切で、お年寄りも優しい人が多い。気候も温暖で、物価も安く、施設の支援も行き届いているので暮らしやすい。」とカマルディンさんは話す。
 フィトリさんと同期の同僚は結婚後徳島に奥さんを呼び、今月第一子が生まれた。もう一人の同僚も5月に結婚式を挙げた。
 「私たちも早く子どもがほしい。父はやっと孫が抱けると喜んでいます。でも職場で日本人の同僚を見ていると、子どもを育て進学させることは大変そう。私たちインドネシア人にできるかしら。」とフィトリさんは流暢な日本語で話す。

 厚生労働省の試算では、10年後に国内で90万人の介護職の人材が不足するという。そのため国策としてEPAで外国人を受け入れ始めたわけだが(「インドネシア便り37回 介護福祉士国家試験を前に」「インドネシア便り38回 介護福祉士・看護師国家試験発表を前に」 参照)、一番多いインドネシア人でも7年で608人。そのうち将来も日本で働ける国家試験に合格した人は167人しかいない(いずれも厚生労働省調べ)。
 そのうえ合格者の中から約50人が帰国している。外国人介護者受け入れ事業を斡旋している公益社団の国際厚生事業団(JICWELS)は、その理由を「家庭の事情」「個人の都合」などとしているが、そうだろうか。20~30代の男女に共通する不安を抱えて働いているはずだ。
 フィトリさんは、「私たちの将来はわからない。結婚したけれどインドネシアと日本に分かれて暮らすかも。」と私に打ち明けた。
2014年6月12日 小松邦康

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2012-03-29

インドネシア便り38回 介護福祉士・看護師国家試験発表を前に

 今月末、インドネシア人も受験した介護福祉士や看護師の国家試験の合否結果が発表される。しかしその前にインドネシアに戻って来た者もいる。奈良、岡山、香川で働いていた3人に話を聞いた。

ディディ君
 奈良県の老人ホームで働いていたディディ君(27)は、3月16日夜ジャカルタに戻ってきた。空港には奥さんのニタさん(25)と2人の子ども、お父さんや弟さんが西ジャワ州のクンガンから迎えに来ていた。みんなと熱い抱擁を交わした後、昨年12月に生まれた次女のアディラシファちゃんを抱き上げた。ニタさんはほっとした表情でディディ君を見上げた。
 ほんとうは日本で介護士の仕事を続け、家族を呼び寄せ一緒に暮らすのが夢だった。ディディ君は、「失敗しました」と私に言った。1月29日の国家試験の後、自分で採点してみると合格点に足りなかった。2月中旬、厚生労働省からディディ君に1枚のハガキが届いた。3年以上日本の老人ホームで働いたインドネシア人の介護士研修生は2次試験が免除される。しかしハガキには、「2次試験は受けられない」と書かれていて、それは国家試験不合格を意味する通知だった。とはいえ救済措置で来年1月の国家試験まで、日本で研修生を続けられる可能性も残っていた。 しかしディディ君は家族や友人と相談し、それから3日後、職場の責任者に帰国しますと伝えた。

1. ディディ君とジャカルタの空港に迎えに来た家族

家族の一員のように世話したい
 その後も帰国前日まで通常通り勤務した。ディディ君は日本に行く前、自宅で暮らしていたお年寄りをお父さんに代わり亡くなるまで世話をしていた。その経験を活かし日本でもお年寄りを他人でなく家族の一員のように世話をしたいと抱負を語っていた。帰国前、ディディ君の勤務していた老人ホームのお年寄りの多くが、淋しいから帰らないでと泣いたという。
 ディディ君のお父さんはジャカルタのメンテンでビジネスマンやOL相手にバソ(肉団子)屋を営み、20年以上土日も休まず働いている。そのお金でディディ君はクニガンの看護学校を卒業し、日本に行くことができた。ディディ君もお父さんのように故郷を離れ、日本での仕事に励み、昨年末貯めたお金で実家の隣に新居を建てた。

外国人が暮らすにはハードルの高い国
 日本人はとても親切で、日本はきれいですばらしい国なので、家族を呼び寄せ日本で一緒に暮らしたかった。家族で日本に住む条件を入国管理局などに聞きに行きいろいろ調べたが、外国人が暮らすにはハードルが高い国だとわかった。そして今のような研修生という身分で家族と暮らし、子どもを育てていくのは難しいと思った。
 帰国を決めてからは日本を去る淋しさでなく、これまでずっと我慢してできなかったニタさんや2人の子どもと暮らせる喜びが沸いてきた。日本を出発する朝、空港に見送りに来てくれた職場の主任はまた奈良に戻ってきてほしいと泣いていたという。日本の良さを理解し性格もやさしいディディ君のような人材が日本から離れていくのは残念だ。同じ職場で同僚だったプリ君は、試験に落ちても滞在を延長し日本で働きたいと言っている。
 ディディ君のクニガンでの職は決まっていない。実家から通える病院で看護の仕事をしたいが、「何でもええわ」と言っている。

ワント君
 岡山県の老人ホームで働いていたワント君(27)と同僚のワワン君は、昨年末職場のマネージャーに「もうすぐ契約が終わるので、あなたたちの仕事はありません。帰国の準備をして下さい」と言われた。突然のことで2人は驚いた。介護福祉士の国家試験前なのにおかしいとも思った。他の施設で働いている友人に聞いても、契約が突然打ち切られるのはおかしいと言われ、外国人介護福祉士の受け入れ支援をしている国際厚生事業団(JICWELS)に相談した方がいいとアドバイスされたので連絡した。
 年が明けて国際厚生事業団から3人の職員が老人ホームを訪れたが話の内容はわからず、しばらくして2月6日に帰国することが決まった。友人からは、国際厚生事業団は何もできない弱い組織だから仕方がないと言われた。

妻より先に帰国させられた
 ワント君は日本に出発する1週間前の2008年7月、同じ介護士候補として大阪で勤務することになっていたアニさん(24)と結婚した。2人はメールや電話でよく連絡を取っていたが、岡山と大阪は離れていたしお金がかかるから、月に1度くらいしか会えなかった。だからいつか同じ職場で働きたいと思っていた。それがワント君だけ先に帰国させられることになった。
 アニさんが勤務する施設は、アニさんが今年の国家試験に不合格でも来年1月の国家試験まで残って仕事を続けてほしいと言っている。アニさんは職場の責任者に夫のワントさんを同じ施設で働かせてもらえないか頼んでみた。しかしアニさんが国家試験に合格すれば何とかするが、不合格だと研修生扱いのままなので、夫といえども国から労働許可が下りないから難しいと言われた。
 ワント君は職場で3年近く日本語や介護の勉強を続けていた。仕事が終わってからの勉強時間だけでは足りなかったが頑張った。しかし帰国が決まってからはそれも打ち切られた。でもワント君は国家試験の受験申請はしていたので、これまで勉強したことを試してみたかった。気持ちはダウンしているが、アニさんと2人で試験に向けて頑張ろうと誓い合った。
 だが試験は難しかった。長い問題なので時間が足りなかった。ワント君の自己採点では正解は半分以下だった。アニさんも同じく合格は難しいと感じた。

2. 2月初めに岡山から帰国したワント君

妻のアニさんも帰国する
 施設のお年寄りからワント君は、「外国人が働いてくれるのはありがたい」、「国に帰ってほしくない」と引き留められたが、2月6日ワワン君と一緒に帰国した。ワント君の故郷は西ジャワ州のチレボンからオートバイで1時間ほどの農村だ。若者の多くはジャカルタなどの都市や海外での出稼ぎが一般的でお姉さんも中東で家政婦をしている。ワント君も岡山から月に2万~3万円母親に仕送りをしていた。
 帰国してひと月あまり経ったワント君だが、チレボンでは介護や看護の仕事は見つからない。日本はいい国ですねとワント君は言うが、失望も大きいと漏らしている。そしてアニさんもワント君と一緒に暮らすことを優先して、4月末に帰国することを決めたという。
 2人は日本での3年間の経験を活かせば韓国や台湾など他の国で、介護の職に就けるかも知れないと考えている。彼らは日本の税金と施設のお金や時間を費やし育てた人材だ。将来日本とインドネシアの懸け橋になれる貴重な人材を日本に残せず、他国に行かせてしまうとしたら、こんなもったいない話はない。

ヌリアさん
 ディディ君やワント君と違い、高松市の老人ホームで働くヌリアさん(29)はインドネシアへの帰国を思い留まった。
 3月8日、ヌリアさんは故郷の西ジャワ州クンガンで結婚式を挙げた。相手は福井県の溶接工場で3年間研修を続け、現在はバンドンで溶接の仕事をしているゲラル君(27)。朝から夜まで多くの村人が集まった盛大な式だった。
 新婚の2人は高松で一緒に暮らしたいと思っている。ゲラル君のお父さんはバンドンの日系繊維工場で30年勤務し、日本人の勤勉さをよく理解しているので、息子のゲラル君も日本企業で働かせたかった。それが実現し福井で3年間、日本人の仕事に対する厳しさを学び、職場の内外で日本人から優しくされたゲラル君は日本が大好きになり、いつかまた日本で働きたいと思っていた。
 ヌリアさんもクニガンの看護専門学校を卒業後、高松市の老人ホームで3年働くことで日本の良さを学んだ。施設の職員やお年寄りから親切にされ、みんなにずっといてほしいと言われているので高松で介護の仕事を続けたいと思っている。

3. 3月8日に結婚したヌリアさん(右)とゲラク君

数ヵ月先の生活設計が描けない
 しかし現実は難しい。1月29日に受けた介護福祉士の国家試験は難しく、自己採点をしてみると合格点に足りなかった。施設はヌリアさんが合格すればゲラル君の仕事を探してあげると言っていたが、それも難しくなってきた。施設の責任者は、もし不合格でもヌリアさんには来年1月の試験まで働いてほしいと言っている。しかしその場合ヌリアさんは正職員ではないので、夫のゲラル君が日本で就労することは難しい。日本での生活経験があり日本語もうまくまじめなゲラル君を採用したい企業は高松にもあるが、国から労働が認められ、収入が得られるかは不透明だ。
 数年先ではなく数ヵ月先の生活設計が描けないヌリアさんは、結婚を機に帰国しインドネシアで新婚生活を送ることを真剣に考えた。ゲラル君や職場の同僚らとも意見を交わし、結婚式の後も1人で高松に戻ることに決めたが、仕事中も不安で落ち着かない日々は続いている。

日本に大きなつけが回って来る
 彼らのように結婚を考え、日本で共稼ぎをしながら子どもを産み育てることで悩んでいるインドネシア人の介護士候補者は多い。適齢期なら誰でも考える問題に、これまで日本政府は答えを出そうとしていない。政治家やお役人は、日本での仕事や暮らしに慣れたまじめな外国人がふつうの暮らしを続けたいという気持ちを理解し、制度を変えることができない。これが日本とインドネシアの政府間で4年近く前に始まった経済連携協定(EPA)の介護士や看護師の受け入れの内実だ。
 東日本大震災の後、人手が足りない被災地の老人ホームや病院で働いているインドネシア人の介護士や看護師も多い。1年余りたった今も余震が続き津波が襲って来る不安の中、帰国したい気持ちを抑えて青森県むつ市の病院で看護の仕事を続けている女性もいる。彼女は国家試験の結果が出た後、合否にかかわらず帰国する予定だ。日本での将来の生活設計が描けないからだと彼女は言う。
 暖かい人間の血が通っていない制度は崩壊し、将来大きなつけが日本に回って来るだろう。
2012-03-29

インドネシア便り37回 介護福祉士国家試験を前に

1月29日に日本各地で介護福祉士の国家試験が実施される。2008年にインドネシアから来日した90余名の候補者が初めて試験に挑戦する。香川県の老人介護施設で働く3人に話を聞いた。

車酔いが心配
 坂出市の施設で働くルーシーさんは大きな心配事がある。自動車での移動に弱いので、車に酔い高松市の試験会場に当日万全な体調で行けるのか不安だ。だから会場に歩いて行けるホテルに泊まりたい。高松市の施設で働く友人のティタさんを誘い、一緒にホテルを探すことにした。
 昨年12月末、ティタさんとJR高松駅で合流し観光案内所でホテルについて聞いた。会場から徒歩10分くらいの所にホテルがあることがわかったが、駅や繁華街周辺の宿に比べ料金が高い。2人でそのホテルを見に行き空室があることがわかった。1泊6000円かかるが、それはこれまで3年半の努力を無駄にしない安心料だと思い予約した。試験会場も下見し、ほっとしたルーシーさんに笑顔が戻った。

ティタさんとルーシーさん1

ふつうの漢字を忘れてしまった
 ティタさんは施設で毎日20人のお年寄りを風呂に入れ、おしめを替える。正月は元旦から休まず8日連続で出勤した。2年前には過労で倒れ救急車で病院に運ばれたこともあるという。
 好きな食べ物はたこ焼きとうどんと刺身で、高松弁で喋り、お年寄りの言っていることもほとんどわかるようになった。福祉介護士の試験問題には一般の日本人でも読めない難解な漢字が書かれている。その漢字を覚えたらふつうに使う漢字を忘れてしまいましたと苦笑する。
 ティタさんと同じ高松の施設で働くヌリアさんは、3月に故郷のチレボンで結婚を予定している。相手は日本で勤務経験のあるバンドンに住む男性だ。試験に合格したら高松で今の仕事を続けながら、一緒に暮らしたい。しかし合否がわかるのは結婚式の後だ。将来が読めず、不安で気持ちが落ち着かない日々が続いているが、とにかく試験に受かりたい一心で毎日深夜まで受験勉強を続けているという。

ヌリアさんとティタさん2

みんなで合格を祈っています
 彼女らは1月29日に一発勝負の試験に挑戦する。一緒に来日した看護師候補は毎年受験できたが、介護福祉士候補は3年間の実務経験が必要なため今回が初めての受験だ。日本人でも合格者が半数という難関の国家試験に不合格だと滞在資格を失い帰国しなければならない。インドネシア人の看護師候補は5%未満しか合格できず、これまでに50人余りが日本を去った。介護福祉士候補のハードルも低くない。
 厚生労働省の試算では2025年に全国で介護職が70万人以上不足するという。高齢化が進み現在も日本人だけでまかなうことが大変だからこそ、日本とインドネシア両国が経済連携協定(EPA)に基づき多額の税金を使って始めた国策なのに、難解な漢字の壁を取り払わず試験で落として帰国させていいのか。
 「これまで各施設は多くの費用と時間を負担し、手探り状態で外国人介護士を支えてきました。お年寄りたちからとても頼りにされ、かわいがられているので、みんなで合格を願っています。今は祈ることしかできません」と施設の責任者は話す。
 日本の暮らしに慣れ、日本を知り、日本が好だからずっと暮らしたいという多くの人材を日本は簡単に追い返していいのか。日本側の危機感が足らないと思う。
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